知働化経済学の射程
はじめに
「知働化」というのは、ソフトウェア、システム、サービスといったものを、「実行可能知識」や「様相」という新しい視点で捉え直し、我々の日常世界、社会、経済の中でのあり方について探求していく活動です。従来からの見積り、IT投資といった経済活動に関わる事項、それを支える手法や理論も見直していかなくてはなりません。
筆者はこの理論領域を「知働化経済学」と呼び、本小論でその方向性について論じていきます。以下の3つの事項について説明していきます。
(1)既存パラダイムの限界
- 「知働化」を視野に入れた場合、今までの経済学のパラダイムの課題と限界はどこにあるのでしょうか?
- ユーザとベンダとの間の取引きでの合意形成、ソフトウェア商品の価格決定といった場面では金銭に関わる意思決定が行われますが、その裏側には多くの非金銭的なものとして信頼、評判、文化的な価値観があります。こういった目に見えない知識資本や、そもそもユーザ/ベンダの対峙や組織間の役割分担の方法自体を見直していく必要があります。
(2)本性に迫るアプローチ
- 「実行可能知識」「様相」の本性に迫る経済活動を分析していくアプローチはあるのでしょうか?
- ソフトウェアにはソフトウェアとしての本質的な難しさがあります。「知働化」で言う「実行可能知識」や「様相」にまで対象を広げた場合に、諸現象を分析していくためのアプローチは、より強化されなくてはならないでしょう。そして、新しい対象や状況に対応した新しい理論を構築していく必要があります。
(3)知働化パラダイムの特徴
- 従来のパラダイムと「知働化」のパラダイムとの差異はどのように特徴付けられるのでしょうか?
- パラダイムシフトが起こるということは、世界観や価値観が変わってしまうということを意味しています。両者の単純な比較は難しいのですが、それぞれのパラダイムの特徴はどういったもので、シフトするということはどのように特徴付けられるのかということを、ある程度浮き彫りにしておく必要があります。
既存パラダイムの限界
筆者は、システムやソフトウェアの見積り分析と評価をビジネスにしていますが、実践的観点から、見積りの手法や理論面の論拠の希薄さに問題を感じていました。この問題を解決していくために、2006年夏に『ソフトウェア経済学』という新しい学問と実践領域を創造し、同年秋口より各方面で提唱・啓蒙活動をしてきました。
『ソフトウェア経済学』では、「ソフトウェアエンジニアリング」を中心に据えつつも、「経済学」や「経営学」のアプローチも取り入れ、これ等3つの学問領域や知識体系を融合させていこうという長期的な研究プログラムです。
この中で、『ソフトウェア経済学』の研究テーマとして、以下の3つの普遍的なカテゴリを設定しています。
- ソフトウェア、システム、サービス等の無形財の利用、開発、保守、運用、破棄の総合的な社会/経済的な振舞い
- 市場、組織、部門、プロジェクト、チーム、個人の一貫した社会/経済的な振舞い
- 価値、価格、費用(コスト)の定式化と、これ等の間の関係
これ等のカテゴリ設定は、総合的アプローチ(さまざまな対象、粒度、種類)であること、実践的手法への展開を目指していることといったよい面もありますが、一方で、今一つパラダイムシフトを強烈におし進めるビジョンや観点が欠落している点も否めません。
例えば、「価値、価格、費用の定式化と関係」を探求していくというのは、得てして、ユーザの価値を起点にして、ユーザ/ベンダ間の適切な合意形成のための指標を設定し、取引き価格を、市場動向を考慮して決定していくといったシナリオを描いてしまいがちです。指標というのが測定可能な画一的なものであるとしたなら、そこで見落としてしまっている定性的なものや、目に見えない重要な性質を考慮しなくなってしまうかもしれません。そもそもユーザ/ベンダという役割分担が正しいかどうも真剣に考えて見る必要があります。
『ソフトウェア経済学』という複数の研究領域の総合的な知識体系を構築し、発展させていくためには、経済学や経営学の新しい潮流も考慮しなくてはなりませんし、逆に、ソフトウェア経済学の研究を進めていく上で、経済学や経営学、さらには、これ等の個別学問領域の研究ビジョンに対してどのようなフィードバックができるかも考えていく必要があります。
一方、経済学の分野では、昨今のサブプライム危機の分析や、低迷する経済状況への対策の必要性からの諸検討、インターネットの普及による新しい社会/経済活動を対象とした手法等の研究から、学術領域での新しい取り組みも始まっています。例えば、『目に見えない資本主義(Invisible Capitalism):貨幣を超えた新たな経済の誕生』田坂広志著では、以下に示すような5つの経済原理に関するパラダイムのシフトが起こっていくと説明しています。
本質に迫るアプローチ
「知働化」について検討する基底として、まず、「ソフトウェア」について考えて見ることにしましょう。ソフトウェアがソフトウェアであるがゆえに難しい性質というのは、「本質的困難(essential difficulty)」として知られています。ブルックス(Frederic Brooks, Jr.)の名著『人月の神話』の中でも詳しく紹介されていますが、以下の通りです。
「本質的(essential)」に対峙する言葉は、「偶有的(accidental)」です。ツールやプログラミング言語の使い方やプロジェクトマネジメントの方法といった事項に関する難しさは、偶有的困難ということになります。ソフトウェアの本質的困難に対応していくために、モジュール化(互いに独立な部分に分割して、意思決定情報を部分的に閉じ込めてしまうこと)したり、要求仕様や実現方式を抽象化したり、俊敏なアジャイルプロセスを適用したりと、さまざまな努力がなされてきています。しかし、あくまでも「対応」であって、ソフトウェアそのものの本質的性質(困難)が変わることはありません。むしろ、あるがままにその本質的困難を受け入れる姿勢が大切です。
さて、「知働化」の本質的困難について考えてみることにしましょう。「知働化」では、ソフトウェアのあり方も若干づれてくるかもしれませんが、基底として「ソフトウェア」を対象としていることは間違いありません。「実行可能知識」というのは、ソフトウェアと実現していくためのさまざまなビジネス領域、エンジニアリング領域の知識のことを示しています。「様相」というのは、ソフトウェアを取巻く周辺事情とでも言ってもよいと思いますが、ソフトウェアが稼働する実世界やその「移ろい」のことを示しています。このあたりの諸概念とそれぞれの関係については、ジャクソン(Michael Jackson)の『問題フレーム』の考え方で整理しようと思っています(別小論にて執筆予定)。
「知働化」の本質的困難を、ソフトウェアの本質的困難を踏襲しつつ、考察対象が広くなりすぎないように中庸をとって、以下のように整理してみました。
「複雑性」「同調性」「可変性」「不可視性」は、ソフトウェアの本質的困難と同じです。ソフトウェアを中心にすえつつも、その周辺も含めて捉えられる説明に変更しています。「複雑性」では、世間でも注目を浴びている「複雑系理論」で言われている自己組織化、創発、ゆらぎといった生命的なシステムの見方を導入しています。「同調性」は、ソフトウェアと実世界との関わりを特徴付けるもので、知働化で言う「様相」と深く関わりがあると考えています。「可変性」は、文字通り「変化」を扱っていますが、単純な不確実性とか、変化の原因となる要素だけでなく、「進化」についても分析していけたらよいと考えています。「不可視性」については、記述されない事項や、人間の意識/無意識の領域にも踏み込む必要があると考えています。
追加したのは、「実行可能性」です。「実行」とは何かというのは、テクニカルにも哲学的にも深い事項ですが、この性質こそが「知働化」を特徴付けていると考えています。
「知働化」の本質的困難は、「知働化」の本性(ほんしょう)ですから、これに向き合い、経済活動の分析を進めていくための理論領域を対応させたものが上図です。それぞれの困難に対して、一対一の理論領域を設定することはできませんが、対応の仕方に程度の差があるとも考え、線の太さでこれを表現しています。図の右側に掲げたキーワードは、経済理論領域に関連、あるいは、下支えする学問や知識体系です。
「生命経済」というのは筆者の造語ですが、「複雑性」というものを生命的なシステムとして捉える「複雑系」の視点を取入れた経済理論領域ということになります。おそらく、「経済物理学」「複雑系経済」「神経経済学」といった近年注目を集めてきている学問領域の成果を使っていくことになるでしょう。
「様相経済」というのも筆者の造語です。「同調性」の視点で、生産/消費(プロシューマ)、開発(作る)/利用(使う)の同時性に代表される機械やソフトウェアと実世界との相互作用を主題とする理論領域ということになります。
「行動経済」は、経済学の分野で近年注目を集めてきているものです。経済活動というものが、合目的で合理的な意思決定によっているという前提を崩し、各個人の心理的な要因や、多様な価値観による意思決定であるとみなす理論領域です。
「知識経済」は、既に世の中一般で浸透している言葉ですが、目に見える知識だけでなく、暗黙知、ノウハウ、知恵、人的ネットワーク、さらには、信頼、評判、文化といった事項も知的資本とみなしていく広い意味での「知識」に関する理論領域です。
「ソフトウェア経済」は、他の経済理論領域と同列に掲げるのは違和感がありますが、「実行可能知識」の「実行」の概念について深堀りしていくということで、従前の「ソフトウェア経済学」を基底としてさらに発展させていこうと考えています。
知働化パラダイムの特徴
パラダイムシフトが起こるということは、世界観や価値観が変わってしまうということを意味しています。両者の単純な比較は難しいのですが、それぞれのパラダイムの特徴はどういったもので、シフトするということはどのように特徴付けられるのかということを、以下説明しておこうと思います。
旧来のパラダイムを特徴付けるとすれば、「一様な世界観」「操作主義的世界観」「可視的世界観」に集約できるでしょう。
「一様な世界観」は、客観的な指標や手法を構築できると考えてしまうといったところに現れます。定量的マネジメントや見える化の重要性を説く人々は、この呪縛にはまっています。従来の経済学の前提である「全ての人々や組織が合理的な意思決定ができる」といったことや、どの企業も生産性を上げることを目標としているとか、ユーザ/ベンダの合意形成には指標設定が重要であるといった考え方も一様な世界観の延長線上にあります。共通の指標や、客観性を追求するといった活動には、必ず、一様な世界観という誘惑が潜んでいます。全ての価値を金銭に換算できるといった考え方も同様です。
「操作主義的世界観」とは、全ての知識は機械化(自動化)できる、全ての対象は操作できる、あるいは、操作したいと考えてしまうものです。その裏側には何らかの支配欲のようなものが渦巻いています。標準的な規範を設定し、手法によって統制しようという考え方も同様です。ファシリーテションやモチベーションコントロール手法を使うというのは典型的な操作主義的な方法です。「お客さまは神さまで、耳を傾けて要求やクレームをきいて、商品の企画をしていこう」といったものも、言葉柔らかで善意に満ちているように見えますが、その裏にはクライアントをコントロールする意図が隠れています。今多くの思考法やコミュニケーション手法が提唱されていますが、その多くは交渉や説得といった他人を操作し、支配したいという欲求に溢れています。「金融工学」を活用したさまざまな証券商品も、市場を工学的な手法でコントロールしたいと考えたところに大きな誤りがあったと考えられます。
「可視的世界観」とは、見えるもの、記述されたものが全てであるという世界観です。記述に至る水面下の状況を捨象してしまうということですし、これは紙ばかり増える内部統制のような非効率性も生み出しています。取引きや金銭経済に現れないボランタリや自給自足的な活動も無視してしまうことになります。
新しい「知働化」のパラダイムは、「多様な世界観」「生命的世界観」「不可視的世界観」によって特徴付けられます。
「多様な世界観」とは、この世界を主観の総体で多様なものとみなすということです。そもそも「価値」とは主観的なものです。意思決定の論拠も多様です。「合理」もあれば「情理」もあります。金銭的な価値以外の価値も大きな影響力を盛っています。例えば、「働く」という言葉も、「傍(はた)」を「楽(らく)」にするというとらえ方もあるそうです。周囲の人々を楽にするということが「労働」であるといった考え方は、世の中全体の富の創出や幸福の達成という観点では効果的と考えられます。「使命感」や「社会貢献」に立脚した行動も、株主への配当や収益増大といった拝金主義よりは、ずっとよい世の中になると思います。
「生命的世界観」とは、機械やソフトウェアにも社会/経済にも、操作できない生命的なシステムとしての局面があるということを認めることです。「知働化」によって知識のある部分は、機械化や自動化ができるでしょうが、それが叶わぬ世界もあります。生命的なシステムとして対象を見るということは、ソフトウェアの場合について言えば初期構築よりも、維持や進化(あるいは淘汰)のプロセスが重要であるということになります。
「不可視的世界観」とは、記述や表現に現れない世界があることを積極的に扱うということです。認識していても記述されない世界もあるでしょうし、そもそも認識することさえできない領域もあるでしょう。知識資本についても人的ネットワーク、信頼、文化といった目に見えないものの重要性が増してきているように思えます。
旧パラダイムと新パラダイムとの差異の比較を、以下にまとめておきます。このリストをより拡充、洗練化していくことによって、新しい「知働化の地平」が見えてくるものと思います。
おわりに
本資料は、「知働化研究会」の自由研究の一環として作成したものです。 「ソフトウェア経済学」を下敷きに「知働化」という新しいパラダイムでどういった課題があるかを考えてみたものです。
検討してみて判ってきたことは、「サービス化」とか「クラウド」といった新しいキーワードとともにインターネット革命と言われていた事項が社会や経済に影響を及ぼして来ている割に、それを扱う学問体系があまりに貧弱なことです。
それと同時に、世界観や価値観を変えるアプローチが必要だと確信できたことです。ソフトウェア、マネジメント、ビジネスといったものも根本から捉え直す必要もありそうです。
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