対談:人働説から知働説へ

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2009 年 7 月初旬、大磯にあるリゾートホテルのロビーで、海を眺 めながら静かに対談は始まりました。

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山田正樹(やまだまさき)
有限会社メタボリックス代表 SRA、ソニーコンピュータサイエンス研究所を経て、1995 年にメ タボリックスを設立。オブジェクト、モデリング、ソフトウェア・ プロセスなどの技術をベースに、コンサルティング、プロジェク ト支援、教育、ソフトウェア開発, 執筆などを行っている。
アジャイルプロセス協議会 副会長
知働化研究会 コンセプトリータ

大槻繁(おおつきしげる)
株式会社一(いち)副社長 一(いち)は、IT/ソフトウェアエンジニアリングをコアとす るコンサルティングファーム。IT システム関連の調達・開発 プロジェクトの第三者見積り評価、診断・改善のコンサルティ ングをコアビジネスとしている。 IPA/SEC 非ウォーターフォール研究会 委員、JEITA/ソフトウ ェアエンジニアリング技術分科会 委員
アジャイルプロセス協議会 フェロー
知働化研究会 運営リータ

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〔大槻〕 湘南の自然はとても心地よいですね。検討も進みそうで何よりです。
〔山田〕 雨男の僕がいるのに晴れてよかった。
〔大槻〕 先日の2009年度アジャイルプロセス協議会総会での発表、どうもありがとうございました。
〔山田〕 あんなもんでよかったですかね?

〔大槻〕 簡潔にして、無駄のないトークでよかったです。フリガナがおしゃれです ね.。
     最後のスライドの「実現=マネタイズ」がいい。
     「マネタイズ」という のは、Google の検索のように従来お金にならなかったサービスをビジネス にするということですよね?
〔山田〕 やはり次世代でちゃんとしたビジネスとして「実現」するようにしたいと いうことも言いたかったもんですから。
〔大槻〕協議会への WG 設立趣意書では「ソフトウェア知働化研究会」でしたが、「ソフ トウェア」という接頭語は無い方がよいですよね?
〔山田〕 元来「知働化」や「実行可能知識」の「知」というのは、ソフトウェアの 外側の世界にあるものですし、
     研究会の活動にユーザ企業や業務部門、経 営層などからも広く参加してもらいたいと思っています。
〔大槻〕 「知働化」という言葉は、本橋正成さんからの提案だったと思いますが、 これもよい言葉だと思っています。
     当初は、「実行可能知識研究会」と少々 長めでしたし、「知働説」というキャッチーな使い方もできます。
〔山田〕 「知」が「働く」のか、「知」に依って「働く」のかとか、微妙な語感です が、短い命名であることと、
     とりあえず活動にラベル付けをすることが重要です。

源流:実行可能知識と様相

〔大槻〕 今回の活動は、山田さんの提唱されてきた『実行可能知識と様相』をベー スにさせていただいているのですが、
     この考え方はだいぶ昔からの問題意 識ですよね?
〔山田〕 もともと僕はコードを書くことが好きですし、オープンソースの活用とか も考慮しながら、軽量なプロセス、
     つまり、開発者本来の知的活動を活か すことが重要だと考えていました。
     アジャイルプロセスも 2000 年前後か ら実践や啓蒙活動もしてきましたが、何かぽっかりというか、
     クライアン トさんや実世界とソフトウェアとの連携について、新しい考え方が必要だ と思っていました。
〔大槻〕 Grailsの活動なんかも問題意識は同じところにあるんですよね?
〔山田〕 Grails は、単なる Web アプリケーション・フレームワークに見えるけど、実はモデル駆動/ドメイン駆動開発のための、
     よくできた現実的な環境なのです。
〔大槻〕 エンジニアの世界の狭義のアジャイルプロセスから、ビジネスプロセスとの関わりを視野に入れた広義の
     アジャイルプロセスへという動きですね?
〔山田〕 アジャイルプロセスに限らず、もっと本質的なアプローチということで、 2003 年~2004 年くらいに悶々としながら考えていたのが、
     @IT に書いた 『実行可能な知識とソフトウェア』です。
〔大槻〕なるほど、アジャイルプロセス協議会の設立が 2003 年なので、協議会の 歴史とともに「実行可能知識」もあるといった感じですね。
     最近は、かな り過激というか、キャッチーな書き方をしていますね。
〔山田〕 『機能はタダである』とか。簡単に主張点をまとめておくと次のようにな ります。

  • ソフトウェアに対する新しい見方
    • ソフトウェアとは, 実行可能な知識の集まりである
    • ソフトウェアとは, 実行可能な知識を糸や布のように紡いだもの(様相) である
    • ソフトウェアを作る/使うとは, 現実世界に関する知識を実行可能な知識の中に埋め込む/変換する過程である
    • ソフトウェアを作る/使う過程では, 知識の贈与と交換が行われている
    • ソフトウェアを作ることと使うことの間には, 本質的な違いはない
  • 実行可能知識と様相/テクスチャ
    • 様相/テクスチャとは、「動く、問題と解決の記述」のことである
    • 「機能」を実現することから、顧客の「知識」をコンテンツ化し、実行可能にすることへ

〔大槻〕 「様相」とか「知を織る」といった言い方も的を射ていると思います。
〔山田〕 昨年くらいから、織物のメタファは、しっくりきているんですよ。

〔大槻〕様相=テクスチャというのが新鮮ですね。
     概念としても M.Jackson の 『問題フレーム』で言う《コンテキスト》とも相性がよさそうですし、
     そ もそも「問題の埋込」という言い方が好きです。やはり「要求」の前に「問 題」ですね。

胎動:同時多発的問題共有

〔山田〕 大槻さんは最近『問題フレーム』にご執心ですね。
〔大槻〕 6 月に札幌におじゃました時のソフトウェアシンポジウム/モデリング・ワ ークショップで発表した
     『価値ある問題をデザインしよう』とか、飯泉純 子さんの『問題は「問題」にある』でお話したように、
     Jackson 先生の 慧眼というか、時代を超えた本質的な考え方は好きです。
     簡単に言うと次 のような世界観です。

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〔山田〕 なるほど。「要求」が「実世界(問題領域)」に対してでているところがい いですね。
〔大槻〕 そうなんですよ。未だに、ソフトウェアへの要求と勘違いする人が多いの には困ったもんです。
     《要求》とは実世界の現象に対するものでなくてはな りません。
〔山田〕 こういう世界観とか見方を変えるというのは、とても大切なことですよね。
〔大槻〕そうです。濱勝巳さん(アッズーリ社)のところでも、Web システムを 構築していく際に、
     クライアントさんとやりとりして問題を把握し、それ をアジャイルプロセス(セル生産方式)で対応しています。
     「ソフトウェ ア」という言葉がどうもしっくりこないということで、「リアルウェア」という新しい造語で、説明しています。
〔山田〕 「戯世界」とか「語り得ない」とか、哲学していますね。
〔大槻〕 2007 年の正月くらいに「ソフトウェアは空(くう)である」と濱さんがい い始めてから期待していたのですが、
     だいぶ「悟り」を得たようです。しかも、会社のビジネスにも直結した実践的な方法も確立してきています。
      彼のモチベーションは、仏教を、宗教というより哲学や世界観を日本人と して腑に落ちるものに消化(昇華かな)し、
     ソフトウェア、否、リアルウ ェアを日本独自のものに仕立てていこうと考えているようです。
〔山田〕 この辺りの話も、広義のアジャイルプロセスと関連しているのでしょう?

広義アジャイル.png

〔大槻〕はい、そうだと思います。とかく、アジャイルプロセスではエンジニアチ ームのプラクティスとか、
     ファシリテーションに目が行きがちですが、ビ ジネスプロセス、マーケットといった
     《実世界》との関わりの部分を対象 にしていく必要があると思っています。
〔山田〕 実世界とコンピュータ、業務領域と開発者領域、ビジネスプロセスとエン ジニアリングプロセスといった
     絡み合いの仕方をもっとつきつめたいですね。
〔大槻〕 いわゆるウォータフォール型がうまくいった時代は遠い昔ですもんね。ア ジャイルプロセスは変化への対応を標榜して、
     つまるところ、不確実性を 許容し、明確になった仕様から実現していくという俊敏さに重きをおいて います。
     このあたりの関係については、本橋正成さんの『ゆるい』の取組みがと ても面白いと思っています。
     先ほどのビジネスプロセスと開発プロセスの 歯車のメタファでも、歯車どうしをきっちきちに噛み合わせるのではなく、
     もっとゆとりや柔軟性をもって連動させようといったものです。彼とやり とりした『ゆるい』の諸概念の整理がこの一覧表です。

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〔山田〕 確かに、ログ解析とか、おすすめエンジンみたいな世界って、実世界の現 象やユーザの振舞いがわからないながら、
     とりあえず 0.5 秒以内に何か結 果を出すようなことしないといけませんからね。
〔大槻〕 実践的な「もがき」や工夫の中から、「知働化」のパターンのようなものが 発見できるとよいと思っています。

潮流:ポストアジャイルと価値

〔山田〕 大槻さんは、元はエンジニア世界におられたようですが、最近はコンサル ティングということで、
     ビジネスフィールドから IT の世界を見てますよ ね? 時代が変わってきているなという肌感覚はどうでしょうか?
〔大槻〕ユーザ企業の意識が変わってきているように思えます。
     以前は RFP (Request for Proposal)を作って、発注して、遂行管理してという感じでし たし、
     IT に対する意識も IT の利活用という観点だったのですが、最近は もっと IT が企業競争のコアというか、
     業務や組織活動に直結していて、 経営上の観点にも紐づけられています。
     つまり、「価値」の観点が重要にな っているということです。
     昨年来の不景気で、コスト感覚は厳しさがまし ていて、バランスシート重視型の経営をとることが多くなってきていたり もします。
〔山田〕 『ソフトウェア経済学』で言っておられた、価値-価格-コストの総合的ア プローチですね。
〔大槻〕覚えていていただいて光栄です。『ソフトウェア経済学』1は、2006 年の 夏くらいからプロモートしている研究領域です。
     30 年くらいかけるつもり の長期テーマです。

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〔山田〕 ユーザとかマーケットの観点からソフトウェアやエンジニアリング領域を 評価するといったことも取組んでおられるようですね?
     アジャイルプロ セスとかもユーザ側から見た時の効用が説明し辛いですよね?
〔大槻〕ITやソフトウェアの価値と、それを実現するテクノロジとの関係を、昨年 (2008 年)夏頃にいろいろな方々と議論してまとめました。

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     図の中段の《不確実性》に対応する価値(例えばオプション価値)を提供 しているのが、アジャイルプロセス(狭義)です。
     これからは、《進化・適 応》のところをもっと深めていく必要があると考えています。
     私が『知働 化』に期待している領域ということにもなります。
〔山田〕 俊敏(アジャイル)の「その先」が《進化・適応》ということですね。
〔大槻〕 価値と解のマトリクスは、そろそろ見直す必要があると思っていますが、
     とりあえず『知働化』や『実行可能知識(+様相)』の位置づけも明確にで きるので、
     第一次近似としてはよいと思っています。
〔山田〕 価値を起点にしていくというのは、難しい問題ですね。こういったパラダ イムシフトは永遠の課題かもしれませんね。
〔大槻〕 もともと「人月からの脱却」というのを標榜して、この業界を良くしてい こうと考えていたのですが、
     なかなか前途多難なものがあります。本橋さ んが言っていましたが、
     「知働説」は、「地動説」と同様に迫害を受けたり するのではないかと危惧しています。(笑い)

パラダイムシフト.jpgコペルニクス的転回.jpg

〔山田〕 政府系の調達や取組みもパラダイムシフトするんでしょうかね?
〔大槻〕一昨年くらいから IPA/SEC(Software Engineering Center)で『ソフトウェ ア経済学』を下敷きにしていろいろな検討を始めました。
     現在は『価値指 向マネジメント WG』という名称です。
     中身は、ユーザ/ベンダ、経営/ 担当といったいろいろなステークホルダの観点で、
     価値を起点に整理し、 IT の企画や調達に関するガイドを作っていこうと思っています。

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〔山田〕VDM/VOM(Value Domain Model / Value Oriented Management)とは、 たいそうな名称ですね。
     この”Domain”というのは、問題フレームで言うと ころのドメインですか?
〔大槻〕 ははは、すごい突っ込みですね。価値というのが主観的効用ということを 考えて、
     ドメインというくくりで検討していこうとしています。
     SEC の中 では、先進的過ぎてあまり相手にされてませんが、地道にやっていくつも りです。
     ビジネスや技術の進化に比べると、お国や制度面は最後についてくるとい うのが世の常識です。
     調達における公平性や透明性の確保というのも、国 民の税金を使うという面から言うと、大切なところなので、
     知働化の研究 の中に制度設計や効用分析の仕組みも入れていきたいと思っています。
〔山田〕 知働化の中で検討しようと思っているものの一つに、エンタプライジング やテクスタイリングといった、
     組織知能の実行可能知識化のようなことを 考えているのですが、こういったものも形にしていきたいところです。
   ・・・(若干省略)・・・
〔山田〕いつの間にやら日が暮れてしまいましたね。
〔大槻〕時を忘れて、というか、とても有意義で楽しい懇談でした。どうもありがとうございました。
〔山田〕こちらこそ。ではそろそろお開きにしますか・・・